忍者ブログ
春を愛する人 ブログ
[267]  [266]  [265]  [264]  [263]  [262]  [261]  [260]  [259]  [258]  [257
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ポルナレフの魂がココ・ジャンボの中に残ったみたいに、もしブチャラティの魂がボスの体に留まったとしたなら、トリッシュはどうするんだろうという妄想が止まらないです。トリッシュがブチャラティを好きだと自覚しているというのを前提で。
これ一時期凄く考えてて、うわあ…ってなってたんですけど、また考え出してしまいました。

人間中身が大事なのは当然ですが、外側もやっぱり大事ですよね。
よく「肉体は魂の器にしか過ぎない」みたいな言い方を耳にするけど、器もとても大事なものです。
近しい人が亡くなった経験をされている方なら分かって頂けるのではないか…と思うのですが、私は故人が荼毘に付されるとき、単純に「勿体ない」と思いました。
心臓が止まっていて脳も働いてなくて、いわゆる「中身が空っぽの器」ということになるんでしょうけど、まだそれはその人の姿をしていて、なのに燃やしてなくしてしまうのかと、そんなどうしようもなくてやるせないような気持ちになりました。
心がなくても、体だけでも残っていて欲しいという思いは、その人物が自分にとって大事であればある程に、強く感じるものじゃないかと思います。
けれども例えば故人の体に違う人の魂が入って、その体が生き返ったなら私は満足なのかと考えてみたら、やっぱりそうではなかったです。むしろその姿で私の名前を呼んだり話したりしたなら、私はきっと嫌だろうなと思いました。
故人と同じ姿形でも中身が別人なら、当たり前ですけどもう自分の知っているその人ではないんですよね。
じゃあ逆ならどうだろうと考えてもみました。故人の魂が、別の人に入ったとしたら。
誰の体に入るかにもよるでしょうが、これも微妙でした。
形も中身も凄く大事で、どっちが欠けてもやっぱり駄目なんだと思いました。

で、話は戻ってトリッシュです。
トリッシュはどう思うのかなあ…
ブチャラティの体は死んだけれど、精神が生き残っただけでもよかったと思って、嬉しいのかな…
最初はそうかも知れないけれど、だんだん複雑な気持ちになりそうな気がします。
ブチャラティをどんなに好きでも、どうにもならない関係ですしね…だって体は父親だし。それこそブチャラティも、絶対にトリッシュの気持ちを受け入れたりはしないだろうし。
好きな人の魂が、許せないと思っている実の父親の体に入ってるって、なんかもう辛過ぎます。苦しいだろうな…

ところでもうすぐミスタが発売ですよ!
これでブチャラティとスティッキィ・フィンガーズに仲間が増えるー!やったー!

拍手ありがとうございました。とっても嬉しいです!
  • Calendar
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
  • Twitter


フォローはお気軽にどうぞ。
  • 広告
PR
Copyright © 春を愛する人 ブログ All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]