メールをありがとうございます。
以下はお返事です。
以下はお返事です。
葉子さん様
こんにちは。いつもメッセージをありがとうございます!
またまたシンクロでしたか!同じことを感じている方がいらっしゃるって、とても嬉しいですー。
それでですね、ちょっと語ってもよろしいでしょうか?ちょっとどころか、すごく長くなると思うのですけど、語らせて下さい…!
私もミスタとトリッシュは、ブチャラティが亡くなっていることが大前提なんです。ブチャラティ生存では、私の中ではミスタとの関係は成立しないです。
ブチャラティが生きていたら、トリッシュには頑張ってブチャラティを振り向かせて貰いたいですし、私の勝手な妄想では、いつかブチャラティはトリッシュにほだされると思うので、トリッシュが諦めない限りどうにかなるような気が凄くします。そしてトリッシュは諦めないだろうと。
「NOTTE FREDDA」と「MATTINA VUOTA」は、ブチャラティが原作通り亡くなっていて、その現実の中でトリッシュが誰かと一緒にいるとしたら、それはやっぱりミスタじゃないかなと思って書きました。(妄想抜きで考えると、それから先に出会う他の誰かと結ばれることも普通に考えられますけど、それはまあ除外ということで)
それで「MATTINA VUOTA」の中で、トリッシュが「もしブチャラティが生きていても一緒にいなかったと思う~」とか言ってますけど、自分で書いておいて何ですが、あれは五年後のトリッシュの寂しい強がりなんだと思います。ちょっと上手く言えないんですが…。
五年前のブチャラティが死亡して間もない頃なら、トリッシュは「もしブチャラティが生きていたら、一緒にいる未来があったかも知れない」という「もし」の方を強く考えると思うんです。でも五年という年月がたって、その間にミスタと一緒にいて、少女から女性の年齢になったときに何をどう思うだろうと考えると、きっと五年前に想像した未来と逆の「もし」を口にするような気がしました。
あの話の中のトリッシュは、ブチャラティに対する気持ちを恋だとは思っていない、と言うか、気付いてるけど気付きたくないみたいな感じなんだと思います。
ジョルノの前では「一緒にいられたかも知れない未来」を言いたくなくて(未練がましい自分の弱さを見せたくなくて)、でもその後に「これは全て仮定の話」だと言って、「その逆の未来もあったかも知れない」ということをほのめかしたりしています。
「一緒にいなかったと思う」は、どうあがいてもブチャラティがいない現実に対する強がりなんじゃないかという気がします。
気がしますとか思いますとか、自分で書いたくせにこんな言い方はおかしいですけど、何だかこういう書き方になってしまうのはなぜなんでしょうか…。
原作の中では、トリッシュはブチャラティに対する気持ちを自覚していないようでしたし、自覚するとしたら、それこそブチャラティと一緒にネアポリスに帰ってからなんだろうなと思うんです。
でも実際は一緒には帰れなくて、そしたら自覚のなかった気持ちはそのままで、宙ぶらりんになるんじゃないかなという気がしました。好きだとか嫌いだとかという意識じゃなくて、ただずっと忘れられないみたいな存在として、トリッシュの中に残るような気がしたんです。
「トリッシュ・ウナは恋をする」では、ブチャラティがコロッセオで目覚めてくれたからこそ、トリッシュは自分の気持ちに気付いたということにしました。
死んでしまった?→生きててくれた!という段階があったから自覚した、みたいな。そのまま死亡だと「VENTO AUREO~」の展開、という感じで。
何か自分の書いた話を一生懸命解説してて、かなり気持ち悪いですね、私…。しかも全然話がまとまってなくて、すみません!
ジョジョ5部-1とジョジョ5部-2は別物として書いてますし、ジョジョ5部-1の話もそれぞれ別物として書いているんですが、色んなパターンでブチャトリを考えるのは楽しいです。
「VENTO AUREO~」でのフーゴとの言い争いの場面も、気まずそうに現れたフーゴが静かに事実を受け止めて、その場はよそよそしく去って行く…みたいな展開も考えてたんですが、結局あちらのパターンにしました。
どの話にも言えることですが、実際に彼らがそのときどんな言動を取るかは荒木先生にしか分からないことですし、たくさんある選択肢から一つを選ぶのはとても難しいけれど、やっぱり楽しい作業でもありますね。
ブチャラティのいない世界では、トリッシュはミスタと一緒にいるのが一番自然かなとは思いますが、でもブチャラティが生きていたら、私のブチャトリは揺らぐことはないです!この一言を言うために長々書きましたが、そういうことです!
ところで、葉子さんが以前書かれたというミスタが語るお話、凄く読んでみたいです!
しかもフーゴに、というところで、なんかウケました(笑)フーゴにかよ!と思わずツッコミましたよ!別にフーゴに罪はないんですが、なんでだろ、凄くツボに入って声を出して笑ってしまいました。自分でも自分のツボがときどき不思議でなりません。
葉子さんのブチャトリ、ぜひ披露して下さいとお願いしたいところですが、データは全てなくされたのでしょうか?そうだとしたら激しく勿体ないのですが!
いつかまたサイトを開設されることを、勝手に期待して楽しみにしています^ ^
そうそうFF7の話ですが、「ヒロイン」という言葉の響きからは、何となくエアリスをイメージしてしまいます。だけどクラウドのエアリスに対する思いに恋愛感情は含まれていないと思っているので、葉子さんのお友達の方とは少し捉え方が違うかも知れません…。
色んな見方があって本当に面白いですよね!
お返事、長くなってすみませんでした。何しろ回りにブチャトリを語る相手がいないので、もう語りたくてしょうがないんです…!ここまで読んで下さってありがとうございます。
葉子さんのメッセージ、いつもとても嬉しくて励みにさせて頂いています!
こんにちは。いつもメッセージをありがとうございます!
またまたシンクロでしたか!同じことを感じている方がいらっしゃるって、とても嬉しいですー。
それでですね、ちょっと語ってもよろしいでしょうか?ちょっとどころか、すごく長くなると思うのですけど、語らせて下さい…!
私もミスタとトリッシュは、ブチャラティが亡くなっていることが大前提なんです。ブチャラティ生存では、私の中ではミスタとの関係は成立しないです。
ブチャラティが生きていたら、トリッシュには頑張ってブチャラティを振り向かせて貰いたいですし、私の勝手な妄想では、いつかブチャラティはトリッシュにほだされると思うので、トリッシュが諦めない限りどうにかなるような気が凄くします。そしてトリッシュは諦めないだろうと。
「NOTTE FREDDA」と「MATTINA VUOTA」は、ブチャラティが原作通り亡くなっていて、その現実の中でトリッシュが誰かと一緒にいるとしたら、それはやっぱりミスタじゃないかなと思って書きました。(妄想抜きで考えると、それから先に出会う他の誰かと結ばれることも普通に考えられますけど、それはまあ除外ということで)
それで「MATTINA VUOTA」の中で、トリッシュが「もしブチャラティが生きていても一緒にいなかったと思う~」とか言ってますけど、自分で書いておいて何ですが、あれは五年後のトリッシュの寂しい強がりなんだと思います。ちょっと上手く言えないんですが…。
五年前のブチャラティが死亡して間もない頃なら、トリッシュは「もしブチャラティが生きていたら、一緒にいる未来があったかも知れない」という「もし」の方を強く考えると思うんです。でも五年という年月がたって、その間にミスタと一緒にいて、少女から女性の年齢になったときに何をどう思うだろうと考えると、きっと五年前に想像した未来と逆の「もし」を口にするような気がしました。
あの話の中のトリッシュは、ブチャラティに対する気持ちを恋だとは思っていない、と言うか、気付いてるけど気付きたくないみたいな感じなんだと思います。
ジョルノの前では「一緒にいられたかも知れない未来」を言いたくなくて(未練がましい自分の弱さを見せたくなくて)、でもその後に「これは全て仮定の話」だと言って、「その逆の未来もあったかも知れない」ということをほのめかしたりしています。
「一緒にいなかったと思う」は、どうあがいてもブチャラティがいない現実に対する強がりなんじゃないかという気がします。
気がしますとか思いますとか、自分で書いたくせにこんな言い方はおかしいですけど、何だかこういう書き方になってしまうのはなぜなんでしょうか…。
原作の中では、トリッシュはブチャラティに対する気持ちを自覚していないようでしたし、自覚するとしたら、それこそブチャラティと一緒にネアポリスに帰ってからなんだろうなと思うんです。
でも実際は一緒には帰れなくて、そしたら自覚のなかった気持ちはそのままで、宙ぶらりんになるんじゃないかなという気がしました。好きだとか嫌いだとかという意識じゃなくて、ただずっと忘れられないみたいな存在として、トリッシュの中に残るような気がしたんです。
「トリッシュ・ウナは恋をする」では、ブチャラティがコロッセオで目覚めてくれたからこそ、トリッシュは自分の気持ちに気付いたということにしました。
死んでしまった?→生きててくれた!という段階があったから自覚した、みたいな。そのまま死亡だと「VENTO AUREO~」の展開、という感じで。
何か自分の書いた話を一生懸命解説してて、かなり気持ち悪いですね、私…。しかも全然話がまとまってなくて、すみません!
ジョジョ5部-1とジョジョ5部-2は別物として書いてますし、ジョジョ5部-1の話もそれぞれ別物として書いているんですが、色んなパターンでブチャトリを考えるのは楽しいです。
「VENTO AUREO~」でのフーゴとの言い争いの場面も、気まずそうに現れたフーゴが静かに事実を受け止めて、その場はよそよそしく去って行く…みたいな展開も考えてたんですが、結局あちらのパターンにしました。
どの話にも言えることですが、実際に彼らがそのときどんな言動を取るかは荒木先生にしか分からないことですし、たくさんある選択肢から一つを選ぶのはとても難しいけれど、やっぱり楽しい作業でもありますね。
ブチャラティのいない世界では、トリッシュはミスタと一緒にいるのが一番自然かなとは思いますが、でもブチャラティが生きていたら、私のブチャトリは揺らぐことはないです!この一言を言うために長々書きましたが、そういうことです!
ところで、葉子さんが以前書かれたというミスタが語るお話、凄く読んでみたいです!
しかもフーゴに、というところで、なんかウケました(笑)フーゴにかよ!と思わずツッコミましたよ!別にフーゴに罪はないんですが、なんでだろ、凄くツボに入って声を出して笑ってしまいました。自分でも自分のツボがときどき不思議でなりません。
葉子さんのブチャトリ、ぜひ披露して下さいとお願いしたいところですが、データは全てなくされたのでしょうか?そうだとしたら激しく勿体ないのですが!
いつかまたサイトを開設されることを、勝手に期待して楽しみにしています^ ^
そうそうFF7の話ですが、「ヒロイン」という言葉の響きからは、何となくエアリスをイメージしてしまいます。だけどクラウドのエアリスに対する思いに恋愛感情は含まれていないと思っているので、葉子さんのお友達の方とは少し捉え方が違うかも知れません…。
色んな見方があって本当に面白いですよね!
お返事、長くなってすみませんでした。何しろ回りにブチャトリを語る相手がいないので、もう語りたくてしょうがないんです…!ここまで読んで下さってありがとうございます。
葉子さんのメッセージ、いつもとても嬉しくて励みにさせて頂いています!